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我が家の新年の飾り(企画主任作)2018
 今日1月6日から、小寒(しょうかん)に入ります。本格的な寒さの中に入っていきます。太陽の軌道が冬の極みの「冬至」(とうじ)を過ぎましたので、日は少しずつ長くなっています。晴れた日の昼間には、春の気配さえ感じます。

 さて、2018年はどんな年になるのでしょうか。私にとって年をとることは、とても幸せなことです。自分がこんな気持ちになれるようになるとは、若いころには予想もしていませんでした。私にとって年をとることが、なぜ幸せなのかと言いますと、それには一つの確信があるからです。

 それは、神さまの御心(みこころ)に適う生き方ができるようになっていく、という確信です。それを解き明かし、確信を深めてくれるのは『聖書』です。そして神さまからの聖霊を受けた人々、それを受けようとしている人々との交流が、私をその確信へ向かわせてくれます。ですから、これまでの人生とは違った次のような一年の目標を持つことができるようになりました。

 2018年の私の目標
①自分の身の上に、神さまの召しが突如として訪れたとしても、それにすぐにでも応えられるような生活をする。
②『聖書』を読み、聖霊を受ける人々との交流を続け、自分の人生が神さまに導かれているという確信を深める。
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ブルーベリーの苗木2017
 今日12月27日は、企画主任誕生日です。昨年の思いがけない農園の自然災害、途方に暮れていた私たちに突如として訪れた新しい家族、その時選び取る人生の選択肢は迷いのないものでした。雲仙市にある農園を維持しつつ、信仰生活を維持するため、私たち家族が向かった移住先は、長崎市でした。

 それから一年以上がたち、今日の記念日を迎えました。昨年の自然災害に耐えたブルーベリーから取った苗木が、大きくなってきたので、月齢適期に先日、植木鉢を替える移植作業をしました。この苗木たちの成長は、私たちの新たな生活の証しでもあります。大切に農園の新生を育んでいきたいと思っています。

 最近よく思うことは、以前は人生の選択という捉え方でしたが、それは導かれているのだという確信を深めていきたいということです。突然の神さまの召しがあったとしても、それに応えられるだけの信仰を育てていきたいと思います。

 『聖書』第1巻「創世記」に記されているアブラハムの、神さまの召しに応えるあの旅立ちがなかったら、おそらく今の私たちは存在しなかったでしょう。アブラハムのように、突如として神さまの召しが訪れたとしても、それに即座に応えられるよう、今日の誕生日を、補い合いながら成長していく家族の記念日としたいと思います。
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我が家のクリスマス
 12月22日から、冬至(とうじ)に入っています。自然の中にいると、この季節は静かな時だと思います。動物は冬眠、植物は休眠の者たちが、静かに春を待っています。クリスチャンとなってからは、この冬の極まるころに起こった歴史の事実に、今年も思いを巡らせます。

 それは紀元前の12月25日のことでした。神さまが一度だけ、人間に受肉され、世に姿を現されたのです。その日、生まれた一人の赤ちゃんを祝福する記念日が、クリスマスとなり、今日に至っています。名前をイエスというその方は、西暦30年春、30代前半で生涯を閉じられます。

 「メリークリスマス」は、確かに奇跡的な誕生を祝福する、喜びの響きです。それと同時に、全人類の罪を償うために、ご自身の命を差し出し、贖いの業(あがないのわざ)を成し遂げられた方の、尊い誕生の日であることにも、思いが至ります。

 植物の葉の紅葉が、クリスマスで使われる赤色と重なります。神さまが造られた世界の中に、その真理は現されていて、その一つが贖いの色のように私には思えます。クリスマスの祝福はむしろ、尊い贖いによって救われた、私たちに向けられたメッセージだと私は思っています。
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クリスマスの飾り 2017
 12月7日から、大雪(たいせつ)に入っています。辺りはすっかり寒くなりました。天からは雨ではなく、雪が降る季節となりました。自宅の庭のブルーベリーの苗木も紅葉しています。我が家では、クリスマスに向け、企画主任と我が子が飾り付けをしてくれました。

 先日、私にうれしいメールが届きました。差出人は女性です。その女性と私は、これまでに一度しか会ったことがありません。お会いした場所は、長野県駒ケ根(こまがね)市。もう10年以上も前のことです。その時私は派遣前の訓練を受け、日本から「ある国」へ出国しようとしていて、その女性は「ある国」から帰国していました。生き生きと語る彼女の「ある国」の体験談を聞き、私の不安が少しずつ解消されていったことを今でも覚えています。

 「ある国」とは、もちろん南米「パラグアイ共和国」です。その女性とは、私の派遣された場所「エンカルナシオン障害者支援センター」の、初代ボランティアです。青年海外協力隊のパラグアイ隊・養護隊員の私は、彼女の2代目として任務に当たりました。ですから、彼女とは強い結び付きなのです。彼女から届いたメールの内容は、現地の人が今「ヒデ」はどうしているかと言っている、というものでした。

 「パラグアイは、真夏のクリスマスですね。私は、2年ほど前にクリスチャンになりました。あの時、パラグアイの皆さんの生き方に触れ、引かれたことが大きく影響しています。本当に感謝しています。」
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南米パラグァイ料理の再現
 11月22日から、小雪(しょうせつ)に入っています。寒さが深まる入り口に来ました。私は、専業農家の時には、風邪など引かなかったのですが、先週から風邪を引いています。まだ農園のブルーベリーの剪定(せんてい)ができていませんので,来年もまた、自然の遷移(せんい)の中での純粋な芽吹きと実りになることでしょう。

 風邪で弱っている私を元気付けようと、企画主任が手に入る材料で、先日、南米パラグァイ料理を作ってくれました。とてもうれしく、懐かしく、有り難くいただきました。複雑に込み上げる感情で、何とも言えずおいしかったです。

 今でこそ、キリスト者として歩んでいますが、振り返れば、南米に住んでいた時にもこの道に導かれていました。パラグァイ共和国は、国教がキリスト教です。たとえばこうでした。私の住む町の名はエンカルナシオン(受肉顕現じゅにくけんげん:神であるイエスさまが人間の肉体を伴って姿を現すこと)、世界遺産のある町の名はトリニダ(三位一体さんみいったい:神は父と子と聖霊という3つの人格を持ちながら一体であること)、温かい風情がある町の名はコンセプシオン(聖母受胎せいぼじゅたい:イエスさまの母となるマリアが聖霊によって懐胎すること)といった具合です。

 私は幸せです。歴史上実際に起こった出来事を、伝える喜びを持っているからです。私の生き方が、その証しとなれば幸いだと思っています。