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農園のブルーベリー2018年
 4月20日から、穀雨(こくう)に入っています。春の終わりを告げる雨の季節。大地をしっかり潤して、これから緑盛んな夏を迎えます。春雨(はるさめ)が穀物を成長させます。穀物が私たちを養ってくれます。

 この植物を生み出す自然の恵みに、私たち人間は生かされてきました。この自然を造り出したのは、神さまだと私は信じています。植物も人間も相当の数の誕生を繰り返してきましたが、命の終わりとともにまた大地へ帰って行きました。私たちが土へ帰ることができるのは、私たちが土から造られたからです。最初に土で人の形を造ったのは神さまで、その土の塊に命の息を吹き込んだのも同じ神さまです。

主なる神は、土(アダマ)の塵(ちり)で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。           (『聖書』第1巻「創世記」1章7節)

 真理は一見、「解き明かす」というもののように思えます。ところが真理は自然の中に現されていて、いつでも触れることができると『聖書』は教えてくれます。命の息が絶えた動物は、土の中の微生物が分解し、その体を土の一部にしてくれます。しかしそのことは、人間が神さまの業(わざ)を「科学」というもので、後から説明しているに過ぎません。一年の季節を二十四節気(にじゅうしせっき)で言い表すのも、神さまの業(わざ)を観察した結果、見出したものです。

わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。 (『聖書』第46巻「コリントの信徒への手紙1」8章6節)

 万物(ばんぶつ)が、神さまの業(わざ)の中に存在し、私たちもその神さまの業(わざ)の中で生かされているのは、私にとっては奇跡と言うほか何も例えようがありません。

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