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ふくらむ早生種ブルーベリーの果実
 5月5日から、立夏(りっか)に入っています。風薫る中、植物の緑の勢いが盛んになってきました。そこで先日、ブルーベリー園に家族で草刈りに出かけてきました。草の覆いが取れて、ブルーベリーも少しすっきりしたようです。

 ブルーベリーの早生種(わせしゅ)の果実は、もうかなりふくらんでいました。来月の収穫が楽しみです。昨年は、過去にご注文を受けた方々にすべてお送りできませんでした。ですから今年も、まずその方々から優先してお届けさせていただきます。新しくご注文も受け付けたいと思いますが、お届けがいつになるかはまだまだ未定です。ご注文の際は、お電話か、メールフォームからお願いいたします。

 無農薬無肥料の栽培方針に変わりはありませんが、除草は草刈り機を使って、農園の通路を刈るようにしました。草刈りも本当は手作業で行いたいところですが、私たちが現在長崎市在住のため短い時間で除草を行う必要から、やむなく機械除草となりました。ご理解いただけるとありがたく思います。

 農園のブルーベリーたちの回復を祈りながら、今年も栽培を続けて参りますので、なにとぞよろしくお願いいたします。
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農園のブルーベリー2018年
 4月20日から、穀雨(こくう)に入っています。春の終わりを告げる雨の季節。大地をしっかり潤して、これから緑盛んな夏を迎えます。春雨(はるさめ)が穀物を成長させます。穀物が私たちを養ってくれます。

 この植物を生み出す自然の恵みに、私たち人間は生かされてきました。この自然を造り出したのは、神さまだと私は信じています。植物も人間も相当の数の誕生を繰り返してきましたが、命の終わりとともにまた大地へ帰って行きました。私たちが土へ帰ることができるのは、私たちが土から造られたからです。最初に土で人の形を造ったのは神さまで、その土の塊に命の息を吹き込んだのも同じ神さまです。

主なる神は、土(アダマ)の塵(ちり)で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。           (『聖書』第1巻「創世記」1章7節)

 真理は一見、「解き明かす」というもののように思えます。ところが真理は自然の中に現されていて、いつでも触れることができると『聖書』は教えてくれます。命の息が絶えた動物は、土の中の微生物が分解し、その体を土の一部にしてくれます。しかしそのことは、人間が神さまの業(わざ)を「科学」というもので、後から説明しているに過ぎません。一年の季節を二十四節気(にじゅうしせっき)で言い表すのも、神さまの業(わざ)を観察した結果、見出したものです。

わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。 (『聖書』第46巻「コリントの信徒への手紙1」8章6節)

 万物(ばんぶつ)が、神さまの業(わざ)の中に存在し、私たちもその神さまの業(わざ)の中で生かされているのは、私にとっては奇跡と言うほか何も例えようがありません。
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羊のいる風景(家族でのピクニックにて)2018年
 4月16日、続く18日は、入籍結婚記念日です。ちまたでは私たちの歩んできたこの年月を記念して、陶器婚式と呼ぶようです。先日は家族でピクニックに出かけ、心地良い春の日の中、楽しいひと時を過ごすことができました。何より我が子の喜ぶ姿が見られ、とてもうれしく思いました。

 私は小さいころ、自然の中で遊ぶのが好きでした。その泥遊びの延長で、粘土遊びも好きでした。それが大人になり、その延長で陶芸が今でも好きです。粘土を自在に成形し、動物などの陶器のインテリア作品を造ったりします。

  私の賜物(たまもの)とは何でしょう。賜物のことをタラント(タレント)と言って、才能のことを意味する場合があります。しかし賜物は、神さまが一人一人に与えてくださる賜りもの(たまわりもの)と私は信じていますから、才能だけではないと思います。私は絵画や陶芸が小さいころから好きでしたが、果たしてそれが私の賜物(タラント)でしょうか。まだ何か違うような気がします。

 私の賜物は、神さまからまだ与えられておらず、これから新たに啓くタラントのような気がしています。
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ブルーベリー苗木の新しい葉
 4月5日から、清明(せいめい)に入っています。1年を24の季節に分けた「二十四節気」(にじゅうしせっき)の中で、とても心地良く、一番好きな季節です。明るく清かな(さやかな)時になりました。自宅の庭で育てているブルーベリーの苗木も、盛んに春の新しい葉を芽吹かせています。

 我が子も春の植物たちの勢いに負けず劣らず、食欲旺盛でとても元気です。この食欲の源は、なんと言っても母親の手作り料理に違いありません。出来合いの市販品を我が子が食べると、時々吐き出すことがあります。小さい子のこの本能的な動作に、こちら大人の方が学ばされる時があります。

 思えばこういう私も、この子の母親が私の体調に合わせた手作りの料理を、私に食べさせようと決心した時から、今日に至っています。今は何でも食べられるまでに、ずいぶんと体調が回復しました。私が命長らえているのは、彼女のおかげに他なりません。

 もう一つ私には、楽しい食事が増えました。それは私が毎日、聖書を食べているからです。不思議な表現ですが、聖書の御言葉(みことば)を読み、その御言葉が自分に吸収され、血肉となるという意味で、聖書を食べるという言い方をします。この命の糧(かて)が、とてもおいしいのです。この2種類のおいしい食事がある限り、私の限りある人生には一片の悔いも無いことでしょう。
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春分のころの若葉
 今日3月21日から、春分(しゅんぶん)に入ります。春の光と春の雨を受け、植物たちが新しくされていくのを見ています。我が家の庭で育つブルーベリーの幼い苗木たちも、小さな若葉を芽吹かせています。春を分かつ時は、昼と夜の長さも半分に分かちます。夜明けも夕暮れも、随分と明るさが感じられるようになってきました。

 最近は晴れた日に、自立歩行ができるようになった我が子とよく外に出ます。我が子も、春の外出をとても喜んでいます。この子の笑顔にいやされているのは私なので、私の方が遊んでもらっているという感じです。一日の終わりに、この子の寝顔を見ていて思うことは、私はこの子にきちんと向き合うことが今日はできただろうか、ということです。この子の目には私が映っているのに、私の目にはこの子がきちんと映っていただろうか、と思い返します。

 「雨を見たかい」という歌が好きです。CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)の歌です。私はかつて、この歌詞にあるように、晴れた日に降る雨を見たことがあります。それは私の好きな海で泳いでいて、偶然出会ったあまりにも美しい光景でしたので、今でも目に焼き付いています。

 「いい一日だった」の積み重ねが、「いい人生だった」だと思います。家族と過ごす時間を大切にすることは、私にとって晴れた日に降る雨の光景のようなものです。「雨を見たかい」と自問しながら、悔いを残さない人生を過ごしていきたいと思っています。